東北芸術文化学会

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人々を魅了した「月琴」 − 長崎に伝わる明清楽器 −


人々を魅了した「月琴」 − 長崎に伝わる明清楽器 −

             

江 麻紀


 楽器博物館で「月琴」という撥弦楽器を初めて目にしたとき、なんと風雅で美しい楽器なのだろうと、ガラスケース越しにしばらく眺めていたことがあった。造形が「満月」を想像させるからだろうか、詩情溢れる名前である。棹や胴面に散りばめられた手彫り細工が美しく「手に持ってみたい」と思わせる楽器だった。
 数年後、母が何かを思い出したように「長崎に住むのなら『月琴』を習いに行ったらどう?」というので驚いて理由を尋ねると、若い頃機織りをしていた母が、当時絶滅の危機にあった島原木綿の継承者に話を伺いたいと長崎県島原市を訪ねた折、「素敵な楽器があるので是非聴いていってくださいませんか」と奏でてくださったのが月琴だったそうだ。「長崎に素晴らしい先生がいらっしゃるから、遠くても通っているのですよ」と、愛おしむように月琴を見つめていたご婦人のお姿と月琴が、目に焼き付いて離れなかったのだという。その話を聞いて私は迷うことなく月琴を習うことを決意した。
 初めて月琴を手にする日、緊張しながらも心は躍るようだった。丸みを帯びた柔らかさと木のぬくもりを感じるその月琴(写真)は、明治時代に日本で製作されたものだという。百年を超える歴史を刻んできたのかと思うと、所々入った傷にさえ持ち主だった人々の息遣いを感じるようだ。音程を決める柱は八本、花形にあしらわれた糸巻は四本だが、絹の弦二本を一音として同時に奏でるため、わずかな音のズレに味わいが出る。開放弦は移動ドでいうドとソの二音。慎重に手に取ってみると、持ち上げた瞬間「シャラシャラン」と音がした。外からは見えないが、月琴を動かすと胴内にある金属製の「響き線」がふるえ、呼応するかのように音が鳴る仕組みになっている。胴面が桐製でとても軽いことにも驚いた。腿に乗せて抱えると、繊細だが温かみのある手触りに愛着のような不思議な感情を覚えた。赤いふさの付いたべっ甲の義甲で弦に触れてみる。「つるん」「てれん」と、どこかせつない音色が辺りの空気を包み込むように響いた。
 中国由来の「明清楽(みんしんがく)」を構成する楽器の一つである月琴は、江戸末期に中国から唐人を介して長崎に伝わり、教養人の嗜みとして全国に広まったと言われている。明治期には唱歌や流行歌とともに工尺譜(こうしゃくふ)で書かれた教本が出版されるほど、一般家庭の子女たちの間にも流行したが、西洋音楽の台頭や日清戦争の影響もあり、日本音楽の歴史として刻まれることのないまま衰退を余儀なくされた。折しもその明清楽を、長崎県指定無形文化財として継承、保存するために設立された長崎明清楽保存会が、令和元年に設立50周年を迎えた。地方発信の異国文化が全国を巡り、幾多の危機を乗り越えながら独自に醸成された郷土芸能となって発信地長崎に根付いている。「月琴」の妙なる調べは遥かなる時を越えてもなお、人々の心を魅了し続けているのである。



20200129_月琴


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