東北芸術文化学会

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ティーノ・ディ・カマイーノ作 「枢機卿ペトローニの墓」に関する講演会(シエナ大聖堂ピッコローミニ図書室に於て)


ティーノ・ディ・カマイーノ作 「枢機卿ペトローニの墓」に関する講演会(シエナ大聖堂ピッコローミニ図書室に於て)


團 名保紀



 2016年、復活祭連休明けの3月29日、シエナ大聖堂でTino di Camaino作「枢機卿Riccardo Petroniの墓(1316-17年頃作成)」に関する講演を行った。

 シエナ出身の法王ピオ二世(Enea Silvio Piccolomini)の生涯を描くピントリッキオの著名なフレスコ画サイクルに囲まれ、15世紀の楽譜写本画の数々を展示するピッコローミニ図書室(Libreria Piccolomini)を当日は無料開放し、講演会場にした極めて稀なイヴェントであった。実はその壁面を隔て、かつてごく近くにペトローニの墓が存在していたのであり、同モニュメントをテーマとした講演を行うに相応しい空間として当局が判断されたのである。

 シエナ生まれの彫刻家ティーノを研究し40年以上経つが、その間シエナと様々な交流を重ねて来た。とり分け1975年夏、同市企画による20人以上の日本人美術研究者達のグループを招いてのセミナー(団長は摩寿意善郎東京芸大美術学部長、その実現にはシエナ市の名誉市民・千葉勝画伯の尽力があった)で、シエナ大学等の教授陣による一連の授業を私は通訳した。そこでシエナ派美術研究の大御所、大聖堂付属美術館館長Enzo Carli教授の知遇を得ることが出来、1977年のフィレンツェ大学卒業論文「ティーノ・ディ・カマイーノのピサ時代」の審査をティーノ研究のオーソリティー、カルリ教授が担当して下さることになった。それ故、私は多くの励ましを故カルリ教授から頂いたとまず講演の冒頭で述べ、この度の発表を教授への感謝と想い出に捧げたく思うと述べた。

 さて1980年私は、シエナ大学編集の美術史研究専門誌「Prospettiva」でピサのカンポサントとロンドンのVictoria&Albert Museumに存在する螺旋円柱を、ピサ大聖堂のティーノ作皇帝ハインリッヒ七世の墓の建築的部位として認定し、同論文はその後学界に於けるピサの帝墓再構築案推進への礎となった。その際同雑誌の編集にあたられていた現シエナ地区美術監督局のAlessandro Bagnoli教授が、この度の講演では私の経歴を紹介して下さった。また前ローマ大学教授でシエナ在住の中世法制史家Mario Ascheri教授が、法王ボニファチョ八世と関係の密であった教会法の権威、ペトローニ枢機卿について述べ、総合司会はシエナ大聖堂造営局長官のGian Franco Indrizzi氏が務められた。私には一時間が与えられ、今年二月に本学会の弘前例会で発表した枢機卿の墓に関する新知見につきパワーポイントを駆使して示した。それはカルリ教授が同大聖堂内の聖アンサノ礼拝堂に1951年移築再現した、同墓の持ち送りで支えられた単なる壁面墓碑としての状況を大きく改変するものであった。即ちその下方、床面上には元々アレキサンドリアの聖カテリーナの祭壇が来、壁面墓と祭壇を床面から一気に囲むゴシック的バルダッキーノがそびえ立っていたという内容で、こうした新見解の妥当性の論拠としても、頂点的部位にシエナ近郊のCollezione Salini蔵の「祝福のキリスト半身像」、祭壇には個人蔵の「聖アンニェーゼ胸像」、いずれも昨今私がティーノのシエナ時代の作として認定した具体的彫刻作品が本来存在していたのであるとした。そして結論として、今からまさしく七百年前制作された同モニュメントは、ゴシック的バルダッキーノに囲まれたオルヴィエトのアルノルフォ・ディ・カンビオ作枢機卿デ・ブライエの墓、ティーノがピサ大聖堂に付属祭壇を伴い完成した皇帝ハインリッヒ七世の墓、ジョヴァンニ・ピサーノがカリアティデを石棺の支えとして採用したジェノヴァの皇妃マルゲリータ・ディ・ブラバンテの墓、これらイタリアン・ゴシックの代表的墓碑芸術を反映しつつ、シエナ派絵画の巨匠ドゥッチョによる祭壇画やティーノの父カマイーノによるシエナ大聖堂正面壁の丸窓を囲む半身群像から来る、シエナ特有の絵画的要因を反映したものであり、その普遍性、統合性、スケールの大きさ、イコノグラフィーのユニークさからしても、墓作りの名手ティーノの故郷での渾身の作として、以後の芸術界に与えた影響力には多大なものがあったとした。

 会の締めくくりにお三方からそれぞれの専門の立場に関連した発言を頂いたが、今後はピッコローミニ図書室を機あるごとにシエナ大聖堂関連の文化財、美術作品に関する市民に開かれた講演会場として行きたい、その為の言わば試金石として今回の、多数の聴衆を動員できた企画は成功であったとの感想が大聖堂造営局長官インドゥリッツィ氏から表明された。そして目下計画中である堂内のニコーラ・ピサーノ作説教壇の修復事業と並行し、調査、研究発表も行える空間として同図書室は有効であると、美術監督局のバンニョーリ教授も述べられた。

 私は昨年のフィレンツェ・ビエンナーレで、ティーノ・ディ・カマイーノ作ピサの皇帝ハインリッヒ七世の墓完成700年について述べる講演会を開いた。続いて今年、枢機卿ペトローニの墓制作700年を記念するべく、ティーノの故郷、シエナの大聖堂で市民の方々を前に同モニュメントの魅力と重要性について語ることが出来た。この上ない喜びであり、今後のティーノ研究推進への大いなる励みとなった。

参照:sienanews.it/cultura/arte/il-professor-dan-e-larte-del-duomo-di-siena/
   及び www.academia.edu/23635088/Siena  


20160329_siena


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