東北芸術文化学会

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第十回フローレンス・ビエンナーレ(Florence Biennale)の国際審査員を務めて 


「第十回フローレンス・ビエンナーレ(Florence Biennale)の国際審査員を務めて」


團 名保紀



 2015年、第十回を迎えるに至ったフローレンス・現代芸術ビエンナーレ・コンクール(Florence Biennale)の国際審査員として、10月17日から25日まで会場のフィレンツェ市内、Fortezza da Bassoで過ごした。「ルネッサンスの都」という過去の遺産にのみ安住するのではなく、本来ルネッサンスが標榜した力強い世界性、普遍性に再び想いを至し、フィレンツェが現代芸術の新国際拠点たらんとし、1997年に第一回が開催されたのであるが、それはほぼ一世紀前、ヴェネツィアが画期的な芸術ビエンナーレ祭を企画したのを意識したことでもあった筈である。以来多様な文化的・社会的背景の差異を乗り越え、各アーティストが自由な芸術表現、その交流を展開し発展を遂げ、本年は参加国数65、展示芸術家数430名にも上った。国際審査員も12名となり、初めて日本からは私が招かれた。絵画、彫刻、紙を使った芸術、写真、ミックス・メディア、インスタッレーション、デジタル芸術、ヴィデオ、パーフォーマンス、陶芸、テキスタイル、ジュエリーの12部門に5等賞までが用意され、結果として、日本からはテキスタイル部門で中川泰通(Yasumichi Nakagawa)氏が優勝の栄に輝き、ミックス・メディアで二位にアクリル画のRyota Matsumoto氏が、紙芸術部門では日本画のKazuko Shiihashi氏(四位)、及び海野次郎(Jiro Unno)氏(五位)が入賞した。

 全体の芸術ディレクターは、前回のビエンナーレにおける「アートと倫理」なる主テーマの設定者、ミラノ・ブレーラ美術学校教授、美術史家のロランド・ベッリーニRolando Bellini氏が前回同様担当した。そしてルネッサンス以来、芸術文化都市フィレンツェが重んじてきた創造的価値の推進者としての芸術家や芸術作品同様に、今日の社会に対しても新芸術の果たしてゆくべき重要な役割について問わせ得る主テーマ、「アートとポリス(都市国家)」が設定されていた。因みにBellini氏は審査には加わらなかったが、果たしてその趣旨に沿う作品がどの程度出品されたか、叉受賞作にどの程度までそれが反映したかは率直のところ疑問であり、審査者としてフラストレーションの残る点であった。そうした中、単に技術的、叉様式的・美学的見地から見て優れていたのみならず、規模的にも他を圧し、何よりテーマ的に奥深い追求を見せていたのは、絵画部門で二位となったオランダ人画家Wessel Huisman氏による、「最後の審判」を独自に現代的に反映させた三連画「Garden of Men」であると思われる。実際今回のビエンナーレで個人的に最も印象に残る作品となった。

 なお私はビエンナーレ当局から講演をするべく求められていたため、「ティーノ・ディ・カマイーノ作ハインリッヒ七世の墓と、美術史家としての私――同モニュメント設立700年を記念し」と題して、1977年のフィレンツェ大学卒業論文以来展開してきた一連のティーノ研究、とりわけピサ大聖堂内の帝墓再構築案の重要性について語った。その際美術史研究推進の社会に対する具体的影響例として、同大聖堂内で元来帝墓を迎えていた中央アプス部壁面の調査が進み、オリジナルのフレスコ装飾が1990年代発見され、近年には石棺が開けられ、いずれも鍍金された銀製の帝冠、笏、十字架をともなう天球、それにピサの東方世界との豊かな交流を証し得る、東洋的モティーフの絹製織物が発見されたこと等を述べた。また今日同帝墓に対する関心の広がりを示す事例としては、2007年以降チェーザレ・ボルジアを主題とする惣領冬実作の連続歴史漫画「チェーザレ」で、私の同帝墓再現案を反映した場面が幾度か展開し、同シリーズはイタリア語版も制作され、日伊をまたぐ漫画文化、引いては現代芸術として反映しているとも語った。現代を生きる芸術史研究者として現代芸術への関心はひとしおであるが、科学的・技術的発展顕著な現代がそれに見合った精神性を発揮出来ず、むしろ目を覆う利己主義、退廃と野蛮が世界各地を覆っている中、今こそ芸術がそれらへの怒り、警告のメッセージを逞しくし、愛、平和と友情の世界を希求すべき時と思われる。そうした中、講演で私はティーノ作皇帝ハインリッヒ七世の墓研究推進の最新の“現代的”成果として、同墓が制作された1315年、まさに同大聖堂のため同じ発注者たるピサの僭主・傭兵隊長ウグッチョーネ・デッラ・ファジョーラの決断により、ティーノの後継者ルーポ・ディ・フランチェスコがギベリン・グエルフ両軍戦死者を等しく一つに葬る「1315年のモンテカティーニ戦没者達の墓」を制作、永らくその稀有なモニュメントが実在したことを示す再現図を本学会で昨今発表した旨報告した。同墓は皇帝ハインリッヒ七世並びに帝墓の発注者たる僭主ファジョーラの盟友であり、彼らがそこから多大の影響を受けたダンテ・アリギエーリの英知と普遍的精神を反映したものであり、人類がかかる精神的昇華を時として怒涛と混乱の中でも奇跡的に達成し、寛容と融和、ひいては救済の精神、その栄光が勝利し得ることを示し、それは今日の世界を生きる我々に対しても甚だ示唆的であると思う。そうした中、私がことさら現代芸術の一つの有効な方向性につき、過去の芸術を主たる研究対象とする美術史家として考える際、三年ほど前83歳で他界したイタリア人画家アルベルト・スーギ(Alberto Sughi)氏のことが心に浮かぶ、と講演では結んだ。彼はダンテを深く信奉し、その批判精神、倫理観と正義感、人間性に若いころから学び、2000年代に入ると「新生」及び「神曲」を独自の視点に立ち絵画化していた。取り分けダンテは不滅であるとし「今、我々とともに生きるダンテ」の標語の下、その晩年未だ衰えぬ新鮮な筆力、色彩、光と構図をもって今日的場面を生み出していた。現代イタリアの代表的芸術家であり、人々や社会に有効なインパクトを与える芸術の創造性につき我々を教示してやまなかったスーギ氏の名を、イタリアに於ける現代芸術の国際的新拠点を目指すフローレンス・ビエンナーレの場で引用し得たことは、個人的にもその晩年幾度となく暖かく私を迎えて下さり、その高邁な人となりに接するだけでも多大に勇気づけて頂いた、我が敬愛するスーギ氏への想いをより一層高ならせるものとなった。
(2015年11月14日記)

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